家隅盛塩雑記帳

幕末文久三年がホーム。マイナー新撰組隊士と悪役。

本当に落ち込んだ時は

こんにちは、人間社会に馴染みようがない雑八です。

かれこれ3年前になる、未完の今より文章能力の高い小説を発見して凹んでいます。
見たいから続き書いてくれないかな。

"密謀"という響きから伊東さんと山南さんの関係に熱を上げていた頃の作です。

この二人のコンビ、とっても好きなんですけど、
巷にはそう出回ってないので地団駄踏みます。

あ、山南さんにぞっこんな伊東さんなら『毎日が新選組!』2巻で見られますよ。

小説作品のほうは結構見落としがちなので、本気出して探そうと思います。


さて、私の思い出の作品がまた一つ幕を下ろしました。
終わり方について、色々なご意見が飛び交うのを見ましたが、
一先ず終わってしまったんだなあという喪失感と、少しの暖かみが心に残ります。
新撰組にハマった当初から、ずっと読んできたのですから。
思い出の新撰組作品といえば、五指に入るでしょう。
信頼する少女漫画といえば、もっと範囲が狭まります。

時代考証と、物語としての芯ある新撰組を描いた点、尊敬してやみません。

今度は自分が思い描くものを描く番というような気もします。


で、落ち込んでるんですよ!!!

そんな時に胸中に浮かぶのは、必ず新見さんなのです。
もうウン年前になりましょう。
出逢った時の新見さんは確か、頭の良さそうな芹沢先生の片腕でした。
その頃から、新見さんの印象はすっかり変わりました。
気に食わないことがあるとキレて刀を振り回すし、酒に溺れている、朝に紅顔ありて夕べに白骨ありな生き様の男です。
でもねえ……何故か新見さんはずっと居るんですよ。

勝手なことですが、あの人の"空白"が、ゆとりになっているんじゃないかと思ったり……
つまり分からないことがあることが、ゆらぎになって曖昧にしている。
胸の中にしまえるほど小さくもなれて、世界に感じるほど大きくもなれる、そんなゆとりが存在する。
新見さんは祭神になったので、世界そのものに感じてもおかしくないと思ったり(曇りなき瞳)。

輪違屋糸里の新見さんかっこいい〜、立派な大男とか素敵すぎます。
"新見錦山"の名乗りも、今となっては夢幻ですけどね。
錦の山はきっと紅葉が美しいのでしょう……
そして山の緒へ――……(完)

辛い時に必ずおもいだす存在がいるのは心強いです。
たとえ150年前に生きていた人でも。
見たこともないのに、親しいと感じる。
もう爆発して無いかもしれない、夜空に浮かぶ星みたいですね。

なんだかんだ、創作意欲つよまる雑八でした。


令和二年 五月三○日  江桷雑八