家隅盛塩雑記帳

幕末文久三年がホーム。マイナー新撰組隊士と悪役。

医者はゲンがつく?

こんにちは、晴読雨読になりつつある雑八です。


明治以前の京のことについて著された『京のくらし』(柏書房)を読んでいましたら、遊郭の隠語について学びました。
たいてい、聞き馴染みのない語が並んでいましたが、
その中に一つ気になる言葉がありました。

「玄様」…医者のこと

げんさまと読むのでしょうか。
その語を認めたとたん、脳内に飛来してきました。

『武田玄教』という人名が。


武田玄教とは。
万延元年の『武術英名録』にて、
土方歳三(歳蔵)さんと並んで天然理心流の者として名が出てくる人物です。
立川村に住んでいるとか。

私の大好きな人物の前の名なのでは?と界隈で目されている方であります。

武田観柳斎と名字が一緒で、土方さんと存在時期がかぶっている。
なぜかやたらと親しげに井上源三郎さんの手紙や、試衛館出の方々と武州日野の名主との花見の宴に出てくる武田観柳斎の謎が、
もし武州出身なのなら、
そして天然理心流なのなら、
その親しさの理由になるのではないかと期待されているのです。

でもこの玄教さん、
まだ名前以外の情報が不明とのことで。

読み方も「ゲンキョウ」なのか
「はるのり」「はるたか」等なのかも分かりません。


本日、「玄様」を見つけ、これについて即ネットで調べたところ
「医者に玄のつく名前が多いことから、医者もしくは医者に成りすまして悪所に入る僧のこと」と知り
やはり名前が由来なのかと思いました。


確かに、

杉田玄白
大槻玄沢
賀川玄悦
久坂玄瑞

など、一覧としてみただけでも玄のつく医者は多いです。


あの久坂さんも"玄"瑞でしたね。

医家は町人ながら名字帯刀を許された特殊な身分でした。
もしかしたら、武田玄教と名のある立川村の剣客も、医者の家に生まれた男子だったのではないでしょうか。

そして、医者であれば、
西村兼文『新選組始末記』に「医生」出身と記された武田観柳斎と経歴が近いことになります。

お医者なら「ゲンキョウ」さんっぽいですね。


なお、なぜ医者には玄がつくのか調べたところ、
知恵袋に質問が載っていました。

曲直瀬道三の跡を継いだ娘婿の名が玄朔で
その弟子たちも玄の字を入れたため、みんな玄をつけるようになったとのこと。


いやあ、確かに玄付く人はいるなと思ったんですが、そんな理由とは;
今日見なかったら暫く知らなかったかもしれない。

常識でしたらお恥ずかしい。

ところで、新選組初期の文学者として重宝されていた浅野薫さんも医者とのこと、
結構一緒にお仕事してる武田先生と、医学を学んだもの同士で話があったりしたんでしょうか。

新選組、農家、商人、医者、武家、入り混じった組織で面白いですよね。


もし武田先生が立川村出身だったら、
さらなる期待に胸が膨らみます。

そしたらお土産品の名前一覧でよく見る武田先生の武術の欄は『天然理心流』になるんでしょうし、
「武芸の達者」(西村兼文より)は天然理心流の達人ということになるんじゃないでしょうか。

武田観柳斎の余りのピースが揃う日が来ること、
もっともっと知名度が上がる日が来ること、
楽しみでなりません!




令和二年 七月九日 江桷雑八